今年2023年で、1983年7月2日の日本公開から40周年となった『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』。
日本での『エピソード6/ジェダイの帰還』というと、1983年の劇場公開から2004年の「スター・ウォーズ トリロジー DVD-BOX」発売までの実に21年間も、原題である「Return of the Jedi(ジェダイの帰還)」とは大きく意味が異なる邦題『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』が付けられていたことが話題に上がります。
『ジェダイの復讐』/『ジェダイの帰還』は邦題だけではなく、原題も変遷を経たものでした。
当初発表された原題「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」が、「Return of the Jedi(ジェダイの帰還)」に改題された理由は?邦題が『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』のまま公開され、21年の時を経て『ジェダイの帰還』に変更された経緯とは?
この記事では様々な文献をもとに時系列に沿って、映画の制作/公開当時の状況とともに『ジェダイの復讐』/『ジェダイの帰還』という原題と邦題のそれぞれの変更の歴史を解説します。
原題「Revenge of the Jedi」「Return of the Jedi」変更の経緯
もともと「Return of the Jedi」だったが、「Revenge of the Jedi」に
まず、本作の製作総指揮、原案、脚本を務めたジョージ・ルーカスは、『スター・ウォーズ』3作目にして「エピソード6」となる本作のサブタイトルを当初から、「Return of the Jedi(ジェダイの帰還)」と考えていました。
『ジェダイの帰還』プロデューサーのハワード・カザンジャンによると、ジョージ・ルーカスがハワード・カザンジャンのもとにやって来て、「エピソード6」のタイトルは「Return of the Jedi(ジェダイの帰還)」だと告げたといいます。
ハワード・カザンジャンはこれに対して「それは弱いタイトルだと思う」と意見すると、ジョージ・ルーカスは1~2日後にまた来て、本作を「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」と呼んでいると言ったということです。
つまり、「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」はこの時点でのワーキングタイトル(仮タイトル)となったのです。
このエピソードは「The Making of Star Wars: Return of the Jedi」に記載されているほか、「スター・ウォーズ トリロジー DVD-BOX」に収録のドキュメンタリー「夢の帝国 スター・ウォーズ・トリロジーの歴史」でハワード・カザンジャンは、ジョージ・ルーカスとの会話について同様にインタビューに答えています。
その後、『スター・ウォーズ/ジェダイの帰還』が公開される1983年5月25日から遡ること約3年前の1980年5月14日。まだ『帝国の逆襲』も公開直前であり、ようやくILMが『帝国の逆襲』の特殊効果ショットを仕上げた頃、すでにその続編に向けてルーカスフィルムは動き出していました。
この日に行われた記者会見で、『スター・ウォーズ』3作目の映画のタイトルは「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」と発表され、脚本の執筆も進行中であることも明かされたのです。
1980年10月2日頃には、「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」のタイトルロゴのラフスケッチも出来ており、最終的なタイトルロゴデザインとなる案に、「これが一番好き」であるとルーカスはメモを入れています。
1981年2月24日付のジョージ・ルーカスによる脚本草稿、1981年6月12日付のルーカスによる脚本草稿改訂稿でも、タイトルは「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」となっていました。
そんな中、1981年6月13日~17日に行われたストーリーに関する会議で、ジョージ・ルーカスはタイトルの発表を受けて「ジェダイは復讐しない」という旨の手紙を送ってきている人々の存在を明かし、ルークの使命は父を殺して排除するのではないと発言。この時点で、「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」というタイトルに疑問を持っていることが伺えます。
「Revenge of the Jedi」が『スター・トレックⅡ カーンの逆襲』に及ぼした影響
一方、1982年の4月頃にパラマウント・ピクチャーズは「スター・トレック」映画2作目のタイトルを「Vengeance of Khan(カーンの復讐)」から、「The Wrath of Khan(直訳はカーンの怒り、後に決まった邦題は『カーンの逆襲』)に変更しました。
『スター・ウォーズ』と『スター・トレック』という両シリーズの新作が、いずれも「Vengeance of Khan(カーンの復讐)」、「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」となっては観客の混乱を招く可能性があったほか、先に発表している「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」に、「Vengeance of Khan(カーンの復讐)」が便乗しているかのようにも見えかねません。
ウィリアム・シャトナーの「Star Trek Movie Memories」によると、『スター・トレックII カーンの逆襲』監督のニコラス・メイヤーは、「The Undiscovered Country」とされていたタイトルがパラマウント・ピクチャーズによって相談なく「Vengeance of Khan(カーンの復讐)」に変更された時点でバカげたタイトルだと憤慨。ジョージ・ルーカスの新作への配慮も口にしていたようです。
後に「The Undiscovered Country」というタイトルは、第6作『スター・トレックVI 未知の世界』(「Star Trek VI: The Undiscovered Country」)としてニコラス・メイヤー自身が監督しています。
上記の上に、当時デイリー・バラエティ紙が報じたようにルーカスフィルムからの非公式の苦情もあっては、同じルーカスフィルム作品で大ヒットした『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』を公開し、第2作である『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』の制作中であったパラマウント・ピクチャーズは対応せざるを得なかった、といったところでしょう。
「復讐」と「帰還」、市場調査の結果は
1982年11月、ルーカスフィルムのマーケティング責任者であるシド・ギャニスの元にタイトルに関する市場調査の結果が届きます。
「The Making of Star Wars: Return of the Jedi」によると、この市場調査はテキサス州ヒューストン、カリフォルニア州ロサンゼルス、オハイオ州シンシナティ、アリゾナ州フェニックスの4都市にて324件の電話インタビューを実施したもので、それぞれ「Revenge of the Hero(英雄の復讐)」、「Return of the Hero(英雄の帰還)」と、『スター・ウォーズ』映画に関する調査であることが悟られないように「ジェダイ」の名称を伏せた形で、どちらのタイトルがふさわしいかをヒアリング。
また、このうちの半数は30歳未満の人々を対象にしており、年代層によってどちらのタイトルがより訴求力があるのかも探れるようになっていました。
この市場調査で見られたのは、30歳未満の層とコアファンは「Revenge(復讐)」の方にやや興奮を感じているものの、30歳以上の映画ファンの多くは暴力的な意味合いを否定的に感じて敬遠してしまう傾向でした。
映画のターゲットを主に30歳未満の層とコアファンにするのであれば「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」が効果的なタイトルである可能性があることを示唆する一方で、そのコアファン層を拡張して30歳以上も狙っていく場合には「Return of the Jedi(ジェダイの帰還)」というタイトルを真剣に検討するべきであるとしています。
その上で、この報告書では「Revenge(復讐)」という言葉はこれまでの『スター・ウォーズ』サーガの2作品で描かれている善人/ジェダイのイメージにそぐわない点に言及しており、サーガがこれまで伝えてきた善対悪のテーマを本作でも継続するのであれば「Revenge(復讐)」よりも「Return(帰還)」の方が、このメッセージを伝える上でより効果的かも知れないと結論付けていました。
シド・ギャニスとジョージ・ルーカスはこの報告書について話し合ったものの、ルーカスは本編の編集作業に没頭することになり、タイトルの検討の決断はすぐには下されませんでした。
ちなみに、1981年9月21日付のローレンス・カスダンによる脚本草稿改訂稿でのタイトルは「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」でしたが、1981年11月1日付のローレンス・カスダン、ジョージ・ルーカスによる脚本第2稿改訂稿では「Return of the Jedi(ジェダイの帰還)」となっています。
脚本草稿にあったルーク・スカイウォーカー、オビ=ワン・ケノービ、ヨーダの3人のジェダイが皇帝とダース・ベイダーと対峙するという終盤の戦いが変更されたこともあってか、この市場調査の結果が届く1年前の時点で「Return(帰還)」の方に寄っていたようではあります。
「Return of the Jedi」への帰還、そして混乱
市場調査の結果の到着から約1か月後の1982年12月17日頃、ジョージ・ルーカスとハワード・カザンジャンはタイトルを「Return of the Jedi(ジェダイの帰還)」に戻すことに。
「スター・ウォーズ・ヴォールト」によれば、1983年1月27日にはメディアもこのタイトル変更を報じることになりました。
1982年12月には、「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」とされたティーザー予告編が上映されたばかりであり、この他にもポスターなど「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」とタイトルが銘打たれたものは世に出ていました。
最初に公式に「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」と記載していたのは、小さく予告編上映告知を掲載していた1982年4月の『スター・ウォーズ』再々公開ポスターでした。
ファンたちは封印されたタイトルである「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」のアイテムを探して手に入れようとしました。
タイトル変更を知る前に20世紀フォックス映画によって劇場に送られた「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」のポスターはその代表的なアイテム。
「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」のポスターには、さらに公開日なし/公開日ありの2バージョンが存在しました。
「ぼくたちのスター・ウォーズ」によると、公開日なしのポスターは1982年末に劇場に配布されるも何らかの理由によりすぐに回収され、劇場からのリクエストで公開日入りのポスターが送られるも、「Return of the Jedi(ジェダイの帰還)」への改題によってこちらも掲出出来ない状態に。
回収や廃棄を逃れた1000枚程度のポスターが流出し、高額で取引されてしまう事態にルーカスフィルムはオフィシャル・スター・ウォーズ・ファンクラブにて公開日ありの第2版ポスターを会員に販売。
「スター・ウォーズ・ヴォールト」によると、その数は6800枚、1枚10ドルで提供されたということですが数量が少なく、結局「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」のポスターは、公開日なし/公開日ありの2バージョンいずれもレアアイテムと化すことになってしまいました。
こうして1度発表され、その方向で準備されていた「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」が、1983年5月の公開まであと4か月ほどという時期に「Return of the Jedi(ジェダイの帰還)」へと変更されたことで、映画の宣伝はもちろん『スター・ウォーズ』のライセンシー企業にも大きな影響が出ました。
映画公開が近付いている時期のため、ライセンシー企業は「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」と記載された商品を生産している真っ最中。
最大のライセンシー企業であるアクションフィギュアを発売していたケナーは、25万ドル相当の商品を破棄しなければならず、改題されたことでレアとなったアイテムを確保しようと動いたファンが能天気に思えるほどに、映画タイトルの改題は各方面に大きなダメージを与えることになったのです。
原題「Revenge of the Jedi」から「Return of the Jedi」の変遷
このように、「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」から「Return of the Jedi(ジェダイの帰還)」までのタイトルの変遷の中で、重要なポイントは以下であったと思います。
- もともとジョージ・ルーカスは「Return of the Jedi(ジェダイの帰還)」と考えていた
- ハワード・カザンジャンからタイトルの弱さを指摘する意見があり、「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」で制作とプロモーションを進行
- 脚本を開発する中でのストーリーの方向性も変遷していった
- 発表した「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」に対して、世間から「ジェダイは復讐しない」という反応があった
- 市場調査の分析では、「Revenge(復讐)」という言葉はジェダイのイメージや作品テーマにそぐわないことが示唆
最終的にはインパクトのあるタイトルよりも、ストーリーやテーマ、この時点ではオビ=ワン・ケノービやヨーダに代表されるジェダイのキャラクター性と整合する、作品内容に合うタイトルを選んだという真っ当な検討の結果であることがわかります。
結局、ジョージ・ルーカスは最初から「Return of the Jedi(ジェダイの帰還)」と考えており、もともと一気通貫していたとも言えます。
ちなみに、『エピソード6/ジェダイの帰還』にはアメリカ国内での撮影で使用されたワーキングタイトルとして「ブルー・ハーベスト」というホラー映画を装ったものもありました。
『スター・ウォーズ』の新作の撮影に群がるファンやメディアから注目を集めないようにして、撮影場所の交渉でも有利になるもの(『スター・ウォーズ』の新作と知られれば使用料を高額にされてしまう)でしたが、これはまた別のお話です。
邦題『ジェダイの復讐』『ジェダイの帰還』変更の経緯
公開まで時間がなく、『ジェダイの復讐』のままでOKに
続いて、邦題『ジェダイの復讐』から『ジェダイの帰還』への変更の経緯です。
上記のように、アメリカで1983年1月には「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」から「Return of the Jedi(ジェダイの帰還)」への改題が発表され、その影響はすでに『ジェダイの復讐』という邦題で公開に向けて準備していた日本にも及びます。
「スター・ウォーズ レジェンド」によると、1982年末には日本オリジナルデザインの『ジェダイの復讐』のポスターが展開。1983年はじめには予告編も上映されました。
20世紀フォックス映画で『エピソード3/シスの復讐』までの宣伝を担ってきた古澤利夫によれば、アメリカでの公開の3週間前に「Return of the Jedi(ジェダイの帰還)」への変更が通達されたと話しています。その時点で日本公開まであと約1ヶ月半。上記のようにすでに『ジェダイの復讐』で宣伝は出ており、もう公開まで時間がない状態。
1983年1月にタイトル変更が報じられたことを考えると、この間に3ヶ月ほどかかっていることになるので、結構なタイムラグがあります。
ヒーローたちの帰還にした方が良いというルーカスの考えに対し、ヒーローたちも『帝国の逆襲』であそこまでやられているのだから、『復讐』でも良いだろうということで邦題は変更せずにOKとなったことが、邦題は『ジェダイの復讐』のままで公開された理由ということです。
これはメディアに情報を流すには即時性がなかった1983年だからこそな判断で、インターネットによって世界の情報が瞬時に伝わり、情報の流通も容易となって修正が可能な現代に同じことをやったとしたら、原題と大きく異なる邦題を付けてそのまま公開したことに対して日本のファンは大きく声を上げたことでしょう。日本向けにローカライズされた映画のポスターの是非も話題になる時代なので、大問題となるはずです。
この「スター・ウォーズ レジェンド」での古澤利夫へのインタビューでは、日本は「復讐」のままであって欲しいというのが、当時のファンの正直な声であったという話もインタビュアーから出ており、日本のファンにとっては公開間近の時点で『ジェダイの復讐』というタイトルは深く浸透しており、映画を見る前には改題後の「Return of the Jedi(ジェダイの帰還)」の方に違和感があったという当時の雰囲気が伺えます。
「ジェダイの帰還」改題署名運動
その後、1997年公開の『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐 特別篇』でも改題されることがなかった『ジェダイの復讐』。
アナキン・スカイウォーカーの旅立ちの物語である『エピソード1/ファントム・メナス』が1999年に公開され、改めてその人生の行く末を描いた『ジェダイの復讐』という原題と意味が異なる邦題に注目が集まったのか、その翌年である2000年8月には日本の私設スター・ウォーズ・ファンクラブであるリトル・ファルコンによって2000年11月に発売の「スター・ウォーズ トリロジー ビデオ(VHS)」に合わせた「ジェダイの帰還」改題署名運動が行われました。
目標数は1万件と設定されたこの署名運動は、8月15日〜9月15日までの1ヶ月間という期間で約1,800名分の署名が集められ、20世紀フォックス映画に提出されるという結果となりました。
「スター・ウォーズ トリロジー ビデオ」の発売が11月であるため、署名締切の9月15日頃にはもう発売に向けた各種デザインや制作作業は進んでいるでしょうから、このスケジュールではいずれにしても発売時の改題は難しかったのではないかと思います。
リック・マッカラムの認知、そして『復讐』は『帰還』に
「スター・ウォーズ論」によると、2002年に『エピソード2/クローンの攻撃』のプロモーションにて来日した『特別篇』とプリクエル・トリロジーのプロデューサーであるリック・マッカラムが、日本において長年の間「Return of the Jedi(ジェダイの帰還)」が原題と異なる邦題のままであることを知り、「ではDVD発売の時に直しましょう」と明言。翌年の2003年末には、この改題は正式決定したとのこと(『エピソード3/シスの復讐』というタイトルが発表されたのは、2004年7月のサンディエゴ・コミコンでのことでした)。
そして2004年9月に発売の「スター・ウォーズ トリロジー DVD-BOX」にて、ついに21年間もの間、日本で呼称されてきた『ジェダイの復讐』という邦題はその役目を終え、「エピソード6」は『ジェダイの帰還』へと改題されることになったのです。
『ジェダイの復讐』の時代と、『ジェダイの帰還』の世代
「Revenge of the Jedi(ジェダイの復讐)」から「Return of the Jedi(ジェダイの帰還)」への改題について、原題と邦題の双方の歴史を振り返ってみました。
『エピソード6/ジェダイの帰還』が公開から40周年のアニバーサリーとなり、グッズやイベントでもフィーチャーされることが多かった今年2023年は、この日本特有の『ジェダイの復讐』と『ジェダイの帰還』という新旧の邦題についてSNSで言及しているファンの様子も見受けられました。
『ジェダイの復讐』は21年間、正式な邦題となっていたので公開当時から知るファンにとっては、非常になじみ深いものです。一方で、現在の20代以下のファンは生まれた時から『ジェダイの帰還』というタイトルが当たり前となっており、原題とも大きく異なっている『ジェダイの復讐』と言われても「『エピソード3/シスの復讐』の間違いなのでは?」と、ピンと来ないのではないでしょうか。
ある時点から改題されたため、これはどうしても世代間でギャップが生まれてしまうものだと思います。公開当時から2004年までの間に鑑賞した方にとっては、『ジェダイの復讐』というタイトルにノスタルジーとともに思い入れがあって当然です。しかし、原題から何のノイズも入っていないタイトルは『ジェダイの帰還』の方であり、作品の意図を正確に捉えています。
「自分にとっては『ジェダイの復讐』/『ジェダイの帰還』である」、という思いがあることは良いと思います。大切なのは、異なる時代に同じ映画を見た者同士が、お互いにその思い入れを押し付け合わないことでしょう。
私自身にとっても、VHSのレンタルビデオやテレビ放送、『特別篇』にて『ジェダイの復讐』に慣れ親しんでおり、その当時の雰囲気とともに刻まれた邦題です。
ただ一方で、原題通りの翻訳であり、作品内容としても整合性のある『ジェダイの帰還』に変わって欲しいという思いは持っていたので、2004年の改題以降『ジェダイの帰還』と呼ぶことに何の抵抗もありません。
ダークサイドに堕ちてダース・ベイダーとなっていたアナキン・スカイウォーカーが、彼の内なる善を信じた息子であるルーク・スカイウォーカーに救われてライトサイドへと帰還したこと、最後のジェダイとなったルークが第2デス・スターから仲間の元に生還し、銀河の表舞台にジェダイが帰ってきたこと、そしてジョージ・ルーカスがジョーゼフ・キャンベルから影響を受けていることを考えれば、ルークの旅が試練を経て、三部作の最後に帰還するという「英雄の旅」の通りの構成であり、『ジェダイの帰還』こそが映画を正確に理解出来る邦題だと思います。
参考文献・映像作品 ※WEBサイトは記事中にリンク設置
- 「The Making of Star Wars: Return of the Jedi」
- 「夢の帝国 スター・ウォーズ・トリロジーの歴史」(「スター・ウォーズ トリロジー DVD-BOX」収録)
- 「スター・ウォーズ・ヴォールト」
- 「ぼくたちのスター・ウォーズ」
- 「スター・ウォーズ レジェンド」
- 「スター・ウォーズ論」
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