NHK「逆転人生 スター・ウォーズのCGを手がけた脱サラ証券マン」から考える、ILM成田昌隆さんの5つの成功要因と4つの学び

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 NHK総合にて1月27日(月)に放送(2月24日に再放送)された、ILMの日本人CGアーティスト成田昌隆さんを取り上げた番組「逆転人生」の「スター・ウォーズのCGを手がけた脱サラ証券マン」。

エラー - NHK

 番組では『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』の貴重な製作過程や、『スター・ウォーズ』を手掛けることになった日本人スタッフの仕事ぶりを描くのみに留まらず、証券会社でキャリアを積んでいたものの45歳で会社を辞めてハリウッドのCGアーティストとなったというユニークな経歴から、成田昌隆さん自身のこれまでのあゆみと決断、そこに至るまでの葛藤や苦難にフォーカスされていました。

 この「逆転人生」の内容を振り返りつつ、成田昌隆さんがハリウッドの映画産業にてCGアーティストとなることが出来た成功要因と、そこから得られる学びを考えてみました。

 自身の人生のこれからや、やりたいこと、夢などを考える上で、成田昌隆さんのストーリーは『スター・ウォーズ』ファンはもちろん、それ以外の多くの方々にも知って欲しいと思います。

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「逆転人生」で紹介された成田昌隆さんのストーリー

 まずは、「逆転人生」の番組中で紹介された成田昌隆さんのこれまでのあゆみを振り返ってみます。「逆転人生」をご覧になった方には振り返りを、見逃してしまった方には番組のあらましがわかればと思います。

『トイ・ストーリー』を見て、CGを独学

 少年時代からテレビで映画を見ることが至福の時間だったという成田さん。この頃から『タワーリング・インフェルノ』のカットの分析をするなど、すでに深く映画を見ていたことがわかります。

トイ・ストーリー (吹替版)

 しかし大人になった成田さんは、アメリカにて映画とは無縁の証券会社に勤めていました。そんな時に、世界初の長編CG映画である『トイ・ストーリー』を鑑賞。新しい時代の映像表現を元に、「自分にも出来るのではないか」と思い、独学でCGを勉強することを思い立ちます。

醒めてしまう夢

 高価な機材を買い込み、作品を作成。さらに、CGアーティストになるための転職活動をします。面接の場では、後にCGアニメーターとなる原島朋幸さんと知り合い、励まし合える仲間が出来ますが、なかなか採用されないきびしい現実が待っていました…

 折しも、2人目の子どもも産まれる中で「夢から醒めてしまった」という成田さん。

 CG制作に向かうこともなくなりつつある中で、子どもと一緒にやっていたプラモデルという新たな熱中出来るものを見つけます。その腕前は、アメリカのコンテストでチャンピオンになるほどに!

自分らしい生き方を求めて

 一方、原島朋幸さんはドリームワークス・アニメーションに就職。あきらめずに夢を追いかけていた方がその夢を叶えたことで、証券会社のニューヨーク所長にまで上り詰めたキャリアがあっても、「自分らしい生き方ではない」と感じてしまい、もう一度夢を追いかけたいという気持ちが湧き上がることに。

 ついに証券会社を辞める決断をします。

 会社を辞めることでアメリカの社宅から出なければならないほか、収入が途絶えることにより、これまで成田さんがやりたいことを受け入れていた妻も不安のあまり、ついに爆発。

 しかし「人生に失敗していたことにようやく気付いた。この年になってはじめて自分のやりたいことに気付き、やり直したい」ということを息子にも告げることで、「好きなことをやらないのは悔いが残る」という思いが家族に伝わり、なんとか同意を得られることに。

2年間のリミット、どん底の時期

 収入がなくても家族を養っていけるリミットは、2年間。CGを学ぶ学校に通ってCGモデラーを目指しながら、猛勉強して仕事を探す日々が始まります。

 家族のサポートを受けつつ、成田さんのプラモデル作品のファンであった『ハリー・ポッター』シリーズを手掛けたCGアーティストのアーロン・ファウさんから教えを得られるようになります。

 作品に対して「CGっぽさ」を感じるという壁を乗り越えつつありましたが、減っていく貯蓄額、迫るリミットの中で、雇ってくれるスタジオはまだ見つかりませんでした。

 この時期を、成田さんは「どん底」の時期と表現しています。

「感銘」を与えるCGの習得、ハリウッドCGスタジオへ

 ハリウッドに通用するようになるためには、もう1段レベルを上げなければならない。そんな中、コンセプトアーティストの伊藤頼子さんから、学校の課題制作のようなCGモデルではなく、見た人にそのCGから「感銘」や「驚き」を与えなければならないというアドバイスが。

 たまたま大晦日に東大寺で金剛力士立像を見た成田さんは、その迫力に感服。

 CGモデラーも彫刻家のようなものであると気付き、造形した人の魂や迫力を感じ取れ、リアルを超えて何かを伝えられるような「感銘」を与えられる造形を目指すべく、金剛力士立像のCGモデルを制作。忠実に再現するだけではなく、魂を揺さぶるような感動を与えられる作品を目指して出来た作品は、確かに見る者に彫刻の再現ではない、何かを与えてくれるようなCGモデルとなっていました。

アイアンマン3 (字幕版)

 これが契機となり、46歳にしてついにハリウッドのCGスタジオへの就職が決まり、『エルム街の悪夢』、『アイアンマン3』といった作品を手掛けることに!

『スター・ウォーズ』新作で待ち受けていたスター・デストロイヤーの壁

 その後、2013年にインダストリアル・ライト・アンド・マジック(ILM)に所属。折しも、ウォルト・ディズニー・カンパニーがルーカスフィルムを買収し、『スター・ウォーズ』の新作を制作することが決まっていた時期でした。

 ILMでの初日は、出社時間が9時のところ、うれしさのあまり3時間前に着いてしまったという成田さん。その初仕事は、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』のミレニアム・ファルコンやスター・デストロイヤーといった宇宙船のモデリング。ついに、『スター・ウォーズ』に携わることになるのです…

 しかし、さらに巨大化した『フォースの覚醒』のスター・デストロイヤーは、無数のパーツによって情報量が大きくなってしまい、最新のコンピューターでも処理し切れないのではという大きな課題が立ちはだかります。とはいえ、コンピューターのスペックに合わせて妥協してしまうと、観客を圧倒することは出来ない。

 何かの参考になるかも知れないと、『スター・ウォーズ』のプラモデルを作ってみた成田さんは、かつてオリジナル・トリロジーで既製品のプラモデルのパーツを機体に貼り付けてディテールを作るキットバッシングをしていたことに思い至り、CGモデル上でも無数のパーツを大量にコピーして使用することで、データ量を抑えて様々な組み合わせを作れるようにしました。

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 こうして25000個ものパーツ数で完成したリサージェント級スター・デストロイヤーは、ILM史上最大のCGモデルに。その後、これらのパーツはILMが制作する『スター・ウォーズ』の各所に使用されるようになります。

 番組では、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』のジストン級スター・デストロイヤーのCGモデルが世界初公開。

 劇中で破壊されるためCGモデルには内部の構造まで作られており、分割された断面までも紹介されました。その中には、『エピソード4/新たなる希望』でデス・スター内でオビ=ワンが切りに行ったトラクター・ビーム発生装置まで!

 しかし、破壊されるが故に爆発や煙でその細部は隠れてしまうとも…

何をするにしても、遅すぎることはない

 成田さんは、なぜ43歳で脱サラして『スター・ウォーズ』を作るまでに至ったのかを問われて、「夢を諦めなかったこと」を挙げます。

 「人生は短いようで、割と時間がある。何をするにしても、遅すぎることはないと自分に言い聞かせている」と言い、『スター・ウォーズ』と同じくかねてから好きな「インディ・ジョーンズ」最新作に携わるという次なる夢に向かいます。

5つの成功要因を考えてみた

 「逆転人生」を見て、自分なりに成田さんが成功した要因を考えてみました。

もともと、プラモデルの卓越した技術や映画を見る目・愛情があったこと

 CGモデラーは、コンピューターの中でモデル作り上げていくという仕事です。

 本格的にCG技術を学ぶ以前から、プラモデルの卓越した技術があったことは元より素養があったということになりますし、『フォースの覚醒』でスター・デストロイヤーのCGを制作する際には、プラモデルを作ることでヒントを得るなど、模型に対するセンスが高かったことから、その応用が効いたのだと思います。

 また、幼少の頃のエピソードでは『タワーリング・インフェルノ』のカット分析をしていたことも明かされており、好きなものを人生の早期に見つけたことや、制作への興味だけではなく、映像に対して「どのようにそれが出来ているか」を分析しようとする感性が感じられます。

アメリカに在住して会社勤めをし、キャリアを築いていたこと

 証券会社(番組では語られていませんが、以下の記事によると日興證券)に在籍し、アメリカに赴任していたことで、語学力は当然持ち合わせていますし、ハリウッドのCGスタジオへ就職する上で、地理的条件も有利だったのはかなり大きな要素だったでしょう。

[鍋潤太郎のハリウッドVFX最前線]Vol.94 ILM リードモデラー成田昌隆氏に聞く、ミレニアム・ファルコン号こだわりのモデリングとは - PRONEWS : 動画制作のあらゆる情報が集まるトータルガイド
©2018LucasfilmLtd.AllRightsReserved.txt:鍋潤太郎取材協力:LucasfilmLtd.構成:編集部▶EnglishVersionishereはじめに映画「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー」が6月...

 また、成田さんは「自分らしい生き方ではない」と語っていますが、それまでの会社でのキャリアによって、収入がなくても2年間家族を養えるだけの貯蓄を築いていますし、23年間会社勤めをされたのも無駄ではなく、低いリスクで長期間、後から振り返ると今後につながる様々な準備が出来たのではないかと思います。

 もちろん、最後には高いリスクを取ったことが決め手となりましたが、これが出来たのもそれまでの貯蓄の積み重ねの結果なのではないかと思います。

CGという次の時代の新技術に着目した先見性

 世界初の長編CGアニメである『トイ・ストーリー』を鑑賞し、その中に日本人スタッフの名前を見つけたこともあって、CGを用いて映画業界に入れるかも知れないと思った成田昌隆さん。

 1995年に『トイ・ストーリー』が公開されて以降、現在では世界でヒットするアニメのほとんどはCGアニメとなり、アニメに関して言えばグローバルで成功するのはセルアニメではなく、CGアニメが主流という時代になっています。

 日興證券ではIT部門に所属されていたほか、前職はNECということでコンピューターは専門分野であったわけであり、早くからITの分野に身を置くという先見性があったことで、20年後に主力となっている技術に着目することが出来たと思われます。

年齢に関係なく、学ぼうとする意欲と謙虚さ

 アメリカ在住+語学力+IT分野+模型に対する感性ということで、この数式のイコールとなるのがハリウッド映画のCGモデラーとなるのは、かなり必然性があると思います。

 番組では、「脱サラしてスター・ウォーズ」、「証券マンがCGに挑戦」という意外性と番組タイトル通りの逆転感にフォーカスされていましたが、上記のように実際には「必要なものはすべてある」という状態であったと感じますし、これらを揃えるだけでも大変な努力が必要であったことは想像に難くありません。

 その上で、成田昌隆さんが夢を叶える上で大きく作用したポイントとしては、何歳であったとしてもアドバイスに素直に耳を傾ける謙虚さと、学んでいこうとする意欲なのではないかと思いました。

 キャリアを積み、40代も半ばとなれば、自身の経験則やプライドが邪魔をして、意見をされても何か理由を付けて反発したり、この年になって正直指摘なんてされたくない…というマインドが働くものではないでしょうか。

 しかし、成田昌隆さんは43歳でスクールに通い始め(おそらく、周囲の学生は若い世代ばかりだったでしょう)、指導したアーロン・ファウさんは、きびしいことを伝えてももっとフィードバックを頼んだという学びの情熱を評価していましたし、感銘を与える作品をというアドバイスも素直に受け入れています。

 学ぼうとする意欲、そして謙虚さ。これが、成田昌隆さんが持っていたものの力をさらに引き出し、掛け算にしてハリウッド映画のCGモデラーになれた主な要因ではないでしょうか。

支えてくれる家族の存在

 さらに、家族の存在も大きな要素だと思います。

 仕事やCG作りという「自分のやりたいこと」があったことで、子どもを構ってあげられないことに葛藤はありながらも、その息子ともプラモデル作りで遊んだり(それもご自身の糧となっている)、会社を辞める決断をした時にも「自分のやりたいことに気付き、やり直したい」ことを率直に伝えることが出来るなど、家族との関係が良好だったことで、むしろ応援してくれる状態になっていたのだろうと思います。

 その上で、お父さんが本当に夢を叶えた時には誇りに思えたことでしょう。

 また、家族がいることで自分のために使える時間に制限がかかり、「自分のやりたいこと」へ時間を投下しにくくなると考える向きもあるかも知れません。成田さんのように一念発起して夢を追いかける際も、独り身であれば家族を養う必要もなく、リスクも低いように思えます。

 ただ、成田さんの場合は家族がいることにより、2年間という制限が付いた背水の陣でCGスクールに臨んだことで、そのプレッシャーをバネとして高い集中力や底力も発揮出来たのではないかと思いました。

成田さんのあゆみからの4つの学び

 そして成田さんのあゆみから、以下の4つのことが学べるのではないかと思いました。

「熱中できるもの」の大切さ

 それに対して費やす労力や時間を厭わないほど、やらずにはいられないような本当に好きなものがあること。

 ひとつのことにのめり込んでしまうというのは、ご自身が語るように成田さんの特性のようですが、熱中出来るものがあることは、いわゆる一般的な「成功」の可否に関わらず、その人の人生を豊かにしてくれます。

 好きなものがあるというだけで、それは幸せなことだと言えます。

 また、好きなことは努力を努力とも思わない(つらいものだと思わない)状態になりますので、必然的にその道の第一人者になりやすくなるのでしょう。

 自己を振り返って、そうした好きなもの、熱中出来るものが何かを改めて見てみると、気付いていなかった自身の特性や、本当にやりたいことを発見出来るかも知れません。

人生における幸せとは、自分で決めるもの

 証券会社のニューヨーク所長となり、家族にも囲まれた当時の成田さんは、誰が見ても幸せな成功者だと思うでしょう。成田さんご自身以外は。

 幸せとは究極的には主観でしかなく、周囲から見てどれほど恵まれているように見えても、それをどのように感じるかは本人次第。

 逆に言えば、周囲がなんと言おうと自分が幸せならばそれで良いのだと言えますし、自分の気持ちに正直になることは重要だと思いました。

夢を諦めない=努力を続ける

 「夢を諦めない」という言葉はよく聞かれるものですが、成田さんが言われると説得力があります。

 独学でCGを学ぶもスタジオから声がかからず、家庭の事情もあって1度は諦めてしまった時期もありますが、その間にもプラモデルの世界にのめり込むなど今後につながることをしていますし、何より独学〜CGスクールで不断の努力を続けています。

 「夢を諦めない」ということは、努力を続けるということとイコールだと思います。そして、始めることは比較的たやすいものの、続けることは難しいのです。

 「夢を諦めない」という言葉は言うは易しですが、本当に出来る人がどれだけいるでしょうか?

 しかし、好きなものに向かう熱中する人は、この努力が苦にならないことが大きな強みとなります。

何をするにしても、遅すぎることはない。年齢は関係ない

 成田さんのこれまでを振り返る上で、もっとも大きな学びかも知れません。

 CGに独学でチャレンジした成田さんのように始めること、飛び込むこと、そして続けること。そこに年齢は関係ないのでしょう。

 老いも若きも、何をするにしても遅すぎることはない。

 この言葉に勇気づけられながら、日々生きていきたいと思わせてくれます。

summer2005

2005年より「スター・ウォーズ ウェブログ」を運営。「『スター・ウォーズ』究極のカルトクイズ Wikia Qwizards<ウィキア・クイザード>」世界大会優勝者。ディズニープラス公式アプリ「Disney DX」のオリジナル動画や記事など、様々な出演/執筆も行っています。2010年、『ファンボーイズ』日本公開を目指す会を主宰しました。

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