「I am your father(私がお前の父だ)」
『エピソード5/帝国の逆襲』のあまりに有名なこのダース・ベイダーのルーク・スカイウォーカーへのセリフが発せられた時から、『スター・ウォーズ』は父と子のストーリーとなった。
6月19日(日)は父の日。『スター・ウォーズ』に登場する様々な父と子のストーリーを振り返ってみるとともに、今年2022年で45周年となった『スター・ウォーズ』が観客たちの間にも世代を超えて広がっている実例として、私と父、そして子どもとの各世代ごとの原体験について語っていきたい。
『スター・ウォーズ』が父と子の神話になった瞬間
実は『エピソード5/帝国の逆襲』のリイ・ブラケットによる脚本第一稿の段階では、ルークの父であるアナキン・スカイウォーカーは霊体として現れて、息子を励ます存在だった。『エピソード4/新たなる希望』でオビ=ワン・ケノービがルークに父について語った(表面的な)話と同じように、アナキンとダース・ベイダーは別人だったのである。
続くジョージ・ルーカスの脚本第二稿で、ダース・ベイダーこそがルークの父親であるという画期的なアイデアが登場した。これにより、ルークの師にあたる存在が多いという脚本上の問題をスリムに改善しつつ、悪に堕ちた父とそれに立ち向かう子どもという神話的なストーリーとなったのだ。
『スター・ウォーズ』が前作の「ルーク・スカイウォーカーの冒険」から、「ダース・ベイダーの悲劇」という父親世代のストーリーにまで拡がりを見せ、世代をまたいだ多層的なサーガとなったのはこの時からである。
ダース・ベイダーが父親であるという、映画史上でも屈指の秘密を守るべく『エピソード5/帝国の逆襲』の撮影時にあのセリフを知っていたのは、製作総指揮のジョージ・ルーカス、アーヴィン・カーシュナー監督、ルーク・スカイウォーカー役のマーク・ハミルの3人だけに限り、大きなサプライズとともに『スター・ウォーズ』はここから、父と子のストーリーという側面が与えられることになった。
次作の『エピソード6/ジェダイの帰還』では、父を乗り越えながらも、かつての父と同じジェダイであるとルークはパルパティーン皇帝に宣言。
母パドメの今際の言葉と同じく、まだ善が残っていることを信じてダース・ベイダーと向き合い、父が屈したダークサイドの誘惑を断ち切ったその姿は、父であるアナキンの心をも動かし、ライトサイドに帰還してパルパティーンを倒すことにつながった。
父の姿から得られるものとともに、子どもから学ばされることもある。アナキンとルークのドラマからは、こうした親子関係の側面も感じさせられる。
ハンとベン・ソロ
『エピソード1/ファントム・メナス』からのプリクエル・トリロジーでは、父アナキン・スカイウォーカーの世代の若かりし頃が、そして『フォースの覚醒』からのプリクエル・トリロジーでは未来の世代の活躍が描かれ、スカイウォーカー・サーガは三世代に渡る物語となった。
『フォースの覚醒』からのプリクエル・トリロジーでは、ハン・ソロとベン・ソロ(カイロ・レン)の父子のストーリーが縦軸にある。
フォースが強い家系の中で、次第にダークサイドに惹かれていく息子に対し、ベンの叔父にあたるルーク・スカイウォーカーに任せてしまい、ハンはどうすれば良いかわからず、上手く息子に向き合えなかったようだ。妻のレイアとも離れて暮らすようになり、悪へ抵抗する組織のリーダーや密輸業という、自分の人生における居場所へとお互いに逃げ込んでしまう。
ベンの父親は、自分ひとりしかいない。
ハンが自身の使命として息子と向き合った時、ベンはすでにカイロ・レンとなっており、取り返しがつかないことになっていた。父殺しを遂げることで、カイロ・レンはさらなる暗黒面に。
しかし、心の中には大切な亡き人の言葉が、姿が、いつまでも残る。
激闘の末、母レイアの声と、レイの癒やしによって生命をつなぐも、気付けばひとりぼっちとなったベン・ソロ。ベンの心に残る父、ハンは彼に語りかける。父ならきっとこう言ってくれたんじゃないか。それは実際には、自分の心の中の整理でしかないし、父であるハンを自身が葬った過去は変えられない。都合良く、自分を許そうとしていたのかも知れない。
それでも心に残る父との思い出が、ベンにとって最後に背中を押してくれたのだ。あの時の父の思いは、ここでようやく届いた。
ハンとベンは、関係が破綻してしまった父子かも知れない。
だが、彼らからは成長していく子どもとの接し方と、親として子どもをどのように見守るべきかという親子ならば誰でも陥ってしまいそうな悩みがあり、そして残された子どもの中で親は生き続けるという、普遍的なことを改めて教えられるようだ。
銀河系に散らばる父と子の物語
スカイウォーカー家だけではなく、広い銀河系には生命の鎖が続く限り、様々な父と子のストーリーがある。
『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』のジン・アーソの父、ゲイレン・アーソは帝国に対する致命的な一撃となる欠陥を、否応なく作らされていたデス・スターに密かに仕掛けた。愛する家族を奪われ、諦めて仕事に逃避する男を演じつつ、希望を残しておいた。
ひとりぼっちにされ、幼い頃から反乱組織に加わざるを得なかったジン・アーソは父への愛憎を抱えつつも、ジンの幼い頃の愛称である「スターダスト」と呼ぶゲイレンの本当の思いを知った時、父が残した希望を受け継ぐ。
そしてアーソ父子がつないだ希望は、もうひとつの親子の物語へと続く。
ジン・アーソと同じく、「スター・ウォーズ 反乱者たち」の主人公であるエズラ・ブリッジャーも、両親が帝国に逮捕されたことで幼い頃にひとりになってしまった。
息子が自分と同じように反乱活動を行っていると知った時、父のエフライム・ブリッジャーはどのような気持ちだったのだろう。エフライムもエズラも、自己を犠牲にしてでも困っている人々のために何かをしてあげたくなってしまう、そんな父子だったのだと思う。
エズラの仲間であるヘラ・シンドゥーラは、民を思うあまり帝国への反乱に身を捧げ、家族を顧みなかった父、チャム・シンドゥーラとの確執を乗り越えた。
そのヘラ・シンドゥーラと結ばれてたケイナン・ジャラスは、息子であるジェイセン・シンドゥーラの父となった。ジェイセンは、会うことが叶わなかった父の話を聞いて育つことになるのだろう。
ベン・ソロの父となったハンにも、故郷のコレリアに父がいたと『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』で語られている。ハンの父親はコレリアン・エンジニアリング・コーポレーションにてミレニアム・ファルコンと同形機のYT-1300の製造に従事していたが、パイロットになりたいと思っており、ハンにも宇宙船を作ることよりもパイロットになることを勧めた。
ハンは、父の思いを父が作っていたYT-1300と同型機のミレニアムファルコンにより叶え、広い銀河を駆け抜ける。
ハンと同じくミレニアム・ファルコンに乗っていたランド・カルリジアンにも、誘拐された娘がいた。ランドの悲しみはいかばかりだが、『スカイウォーカーの夜明け』では幼少期にファースト・オーダーに誘拐されたジャナに、彼女の出身地を探そうと話しており、彼らがこれから大切な存在を見つけられるよう願いたい。
シークエル・トリロジーのベン・ソロ以外のキャラクターにも、勇気と愛情のある父がいる。
命を賭して自身のオリジナルであるパルパティーンからレイを守った、レイの父(彼の名前は6月発売予定の新作小説「Star Wars: Shadow of the Sith」にてダサン(Dathan)と設定された)。
ポー・ダメロンとその父ケス・ダメロンは、親子二世代でそれぞれ反乱軍とレジスタンスの一員として戦った。
変わったところでは、ジャンゴ・フェットとそのクローン、ボバ・フェットは遺伝的には同一人物であるものの「父子」となっており、ボバ・フェットは成長してもジャンゴとの思い出を時に夢の中に見ながら生きていた(『エピソード2/クローンの攻撃』、「ボバ・フェット/The Book of Boba Fett」)。
フォースの聖域であるモーティスには、ずばりそのものファーザーが、超越したフォースの一家としてサンとドーターとともに存在(「スター・ウォーズ クローン・ウォーズ」)。
あのジャバ・ザ・ハットにも、「スター・ウォーズ クローン・ウォーズ」ではロッタという息子がいた。冷酷な犯罪王も、子どもには愛情を注いでいるという興味深い一面が見られる。
イウォークのウィケット・W・ウォリックにも、『スカイウォーカーの夜明け』の頃には息子のポメット・ウォリックが。
ウィケットの息子、ポメットを演じたのはウィケット役ワーウィック・デイビスの息子であるハリソン・デイビス!親子のイウォークを実の親子が演じたという、作品世界でも現実世界でも世代を超えて受け継がれていく『スター・ウォーズ』らしいキャスティングだ。
血縁はなくとも、子どもを守る父たち
血がつながらなくても、絆は生まれる。
ダース・ベイダーとの親子関係が強調されるルークだが、19年間育てたオーウェン・ラーズは、間違いなく本来の父親の役割を果たしたと言えるだろう。
「オビ=ワン・ケノービ」でも、帝国軍の尋問官たちの追及にも屈せず、彼らを呼び込みかねないオビ=ワンと距離を取りながら接し、ルークと家族を守る心強い姿が描かれた。
もっと広い世界に出たいルークの青春期ならではの反発心はあったにせよ、ルークをまっすぐに育てた功績は銀河規模で見ても大きいのではないか。
また、一方のレイアを育てた父はベイル・オーガナ。
固苦しいことや曲がったことが嫌いな性格でありながら、養子であることは誰もが知るレイアのことを理解し寄り添って、導こうとする父親としてのベイル・オーガナも、「オビ=ワン・ケノービ」で見ることが出来る。
さらに、「オビ=ワン・ケノービ」ではそのベイルの頼みで助けに来たオビ=ワン(ベン)・ケノービと、彼に守られながらも後の反乱軍のリーダーの片鱗を見せていくレイアの関係も見逃せない。レイアにとって、ベン=ケノービとの幼少期の出来事は忘れがたい思い出になっているのだろう。
血縁はなくとも、守るべき子どもとの疑似親子関係といえば、「マンダロリアン」のディン・ジャリンとグローグー。自身も孤児であったディン・ジャリンは、グローグーの中に自分を見たのか、かつて自分が受けたようにグローグーを守り、また自身も助けられていく。
父たちがつなぐ、『スター・ウォーズ』の思い出
父とともに見た『スター・ウォーズ』
今年2022年で、世界での公開から45年が経つ『スター・ウォーズ』。ストーリーの中のキャラクターだけではなく、これだけの長い歴史を持つシリーズのため、観客も親から子供、そして次世代へと広がっている。
自分自身の話をすると、『スター・ウォーズ』に触れたのは父がVHSに録画していた「金曜ロードショー」で放送の『帝国の逆襲』が最初の記憶だ。CMを自力でカットして録画していたところに、こだわりを感じられたビデオだった…
幼少期にこのビデオを繰り返し見たり、他の作品もレンタルビデオで見るなどしてオリジナル・トリロジー(当時はこの3作が『スター・ウォーズ』だった)が好きになり、身近にある存在になった。
家族で行っていた、東京ディズニーランドにオープンしたアトラクション「スター・ツアーズ」も、『スター・ウォーズ』によりのめり込む大きなきっかけとなった。
この頃には、パロディ映画の『スペースボール』のネタで笑えるくらいには、『スター・ウォーズ』は当たり前のようにそばにある存在になっていたわけだが、振り返ってみると映画の作品選定や遊びに行く場所も含め、『スター・ウォーズ』を好きになる上で父の影響は多大なものがある。
1990年代前半は、『スター・ウォーズ』は大きく世間で話題になることはなかったが(そんな中でも偕成社の『スター・ウォーズ』小説を買ったりしていた)、1996年末に『インディペンデンス・デイ』を日本劇場で鑑賞した時に上映された、『スター・ウォーズ 特別篇』の予告編は忘れられない。
テレビ画面から映画館の大スクリーンに飛び出すXウィングという予告編の演出は、まさに自分たちのような世代のためのリバイバルだと感じられ、『スター・ウォーズ』が映画館で公開される!と、予告編について興奮して父と語ったものだ。
そんなわけで、翌年1997年の『スター・ウォーズ 特別篇』三部作は日比谷スカラ座に父と見に行った。『エピソード4/新たなる希望』の新規シーンの新鮮な印象はもちろん、例えばダゴバやジャバの宮殿での何気ないシーンでも、『スター・ウォーズ』を映画館で見ていることを実感した。
父が見た日本公開当時の『スター・ウォーズ』
それでは、そんな父が初めて『スター・ウォーズ』を見た時はどんな感じだったのだろう。父の日だし、良い機会なので改めて聞いてみた。
『スター・ウォーズ』の日本公開は、アメリカでの公開の1年後となる1978年。当時、父が愛読していた雑誌「POPEYE」には『スター・ウォーズ』はすごい映画だという記事が毎号のように掲載されており、焦らされながらも期待はいやが上にも高まっていたという。
待ちに待って、ようやく日本公開となった『スター・ウォーズ』。
ブザーが鳴り、暗転した劇場のスクリーンにはあのオープニングクロールが流れ、さらにスクリーン上方からは巨大なスター・デストロイヤーが現れて前方へと進んで行く…一体、いつ全体像が現れるのか?と思うほどのスケール感。
これは宇宙船同士のチェイスシーンなのだと、その状況に理解が追い付いたこのオープニングで、もう完全に心を鷲づかみにされたという。
わかりやすいストーリーに加え、ルーク・スカイウォーカー、レイア・オーガナ、ハン・ソロ、ダース・ベイダーなどの主要なキャラクターや、帝国軍と反乱軍の設定のほか、数々のビークル、クリーチャー、ライトセーバー、ホログラム、機械類の汚しの技術など、今まで見たことがないビジュアルに圧倒。
それまで日本の特撮や、レイ・ハリーハウゼンによる『シンドバッド』シリーズのストップアニメーションしか観ていなかった者にとっては、合成部分が青く光らない合成技術に感心し、デス・スターを破壊するエンディングまで、何も考えずスクリーンにのめり込んだことをよく記憶しているそうだ。
ずっと待っていた話題の映画は、想像以上だったのだ。素晴らしい特撮と活劇に没頭し、今までに観たことのなかった世界を見せてくれたスゴイ映画だったと、日本公開時に『スター・ウォーズ』を見た父は、その印象を教えてくれた。
父となって子どもと見た『スター・ウォーズ』
そんな父と『スター・ウォーズ』を見に行った私にも、今では子どもたちがいる。
かつての私と同じように、「金曜ロードショー」で放送された映画をテレビで見て、劇場で『スター・ウォーズ』映画を見に行ったほか、現在のディズニープラスのドラマシリーズも家族で一緒に見ている。「マンダロリアン」シーズン2 最終話の終盤を、家族総立ちで興奮しながら見た時は忘れられない。ディズニーランドの「スター・ウォーズ:ギャラクシーズ・エッジ」は、いつか一緒に行きたい場所のひとつだ。
私が昔から持っているベーシックフィギュアやライトセーバーは、そのままゆずった。
子どもには『スター・ウォーズ』以外にも様々に興味を持っているものがあるし、それはこれからも拡がり続けていくだろう。
別に自分と同じくらい、『スター・ウォーズ』を好きになって欲しいとは思っていない。ただ、今まで、そしてこれから様々な経験をする中で自分が好きなもの、夢中になれるものを何か見つけてくれれば、それで良いと思っている。
三世代の共通の話題となり得る『スター・ウォーズ』。それぞれの世代ごとに、家族との『スター・ウォーズ』の思い出もあるのだろう。
『スター・ウォーズ』ギャラクシーのキャラクターたちの間でも、それを見た観客の間でも世代を超えて受け継がれていくものがある。父の日をきっかけに、そんなことに思いを馳せながら『スター・ウォーズ』作品を楽しんでみたり、身近な大切な人と話してみてはいかがだろうか。
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